文化財のご紹介
称念寺の文化財
戦乱や天災、歴史変動などにより多くの文化財が失われました。しかし、それでもこれだけの物が大切に守られてきました。
-
他阿真教上人像 - 他阿真教上人は一遍上人が開いた時宗の2代目の上人で,正応3年(1290)に称念寺を念仏道場とした。称念寺本は現存する最古の他阿真教上人像である。
絹本著色 鎌倉時代の作。
(国指定重要文化財) - ※他阿真教(1237-1319) 一遍上人の一番弟子
-
天皇宸翰 (天皇直筆の書簡) - 天皇の勅願寺であった称念寺には、寛正6年(1465)の後花園天皇の綸旨が残っている。 また、後奈良天皇、霊元天皇の綸旨や戦国大名の古文書等も大切に保管されている。
(坂井市指定文化財) - ※綸旨:天皇の命を下に伝達する文
-
浄土三部経 - 浄土教の根本経典で無量寿経上・下・観無量寿経・阿弥陀経の4巻に分かれている。いずれも斐紙に銀泥堺線を引き,墨書で書かれており,見返りには三尊迎光図等が描かれている。鎌倉時代の作。
(福井県指定文化財)
-
寄進状や禁制 - 朝倉敏景、織田信長、柴田勝家、羽柴秀吉等の大名からの寄進状や禁制等が多数残されている。上の写真は天正元年(1573)織田信長が朝倉攻めに際し、称念寺に与えた強奪、暴行、放火等を禁じる禁制である。
(坂井市指定文化財)
-
九重の石塔 - 江戸時代初期の石造多重塔です。もとは九重であったと考えられるが、地震等で倒壊破損し現在は七重まで積み重ねられている。
寛永16年(1639)に福井藩士 戸祭兵大夫宗久が願主である。高さ3m。
坂井市文化財指定
-
新田義貞公墓所墓石 - 天保8年(1837)新田義貞公500回忌に福井藩主松平宗矩が建立した高さ2.6m余りの五輪石塔である。下2段は旧墓石である。
(新田義貞公墓所 福井県指定史跡)
-
阿弥陀三尊来迎仏 - 阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の立像の三尊仏である。木造で鎌倉時代のもので、切り金の文様が施されている。
(坂井市指定文化財)
-
松尾芭蕉句碑 - 元禄2年(1689)8月 松尾芭蕉が称念寺に立ち寄り,明智光秀の夫婦愛の話を聞き,感激してのち伊勢の弟子の妻に詠んだ句である。
-
称念寺縁起書 - 長禄3年(1459)1月 第17代遊行上人が制作したもの である。称念寺は泰澄大師が創建し,時宗の念仏道場となり,新田義貞公の墓所であることが料紙17枚に書かれている。
(紙本墨書 坂井市指定文化財)
-
遊行上人縁起絵の断簡 (江戸期の模写で称念寺蔵) - 上の写真は正応3年(1290)他阿真教上人の越前布教の様子が描かれている絵巻の断簡である。永徳元年(1381)頃 阿弥陀三尊来迎仏像と交換に,この絵巻を称念寺から豊原寺へ納めたと伝えられている。
指定文化財一覧
称念寺縁起一巻 | 長禄3年(1459)遊行17代上人が称念寺の歴史をしたためたもの。市文化財 |
---|---|
木造阿弥陀三尊像 | 鎌倉時代の阿弥陀三尊像で、切金の文様が残る。 市文化財 |
装飾浄土三部経 | 装飾が入った鎌倉時代の三部四巻の浄土三部経である。 県文化財 |
絹本着色 他阿真教上人絵像 | 時宗二代目の真教上人絵像 鎌倉時代作 国重要文化財 |
新田義貞公墓所 | 古い墳墓を江戸時代に修復した新田義貞公墓所 県史跡指定 |
鎌倉時代から明治期の古文書・絵図等が一括して約60点が 令和2年1月に市文化財に指定されました。綸旨・禁制等を含む。
また、文化財に指定されたもの以外にも多くの文化財が所蔵されています。